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騎士の娘イリス

「はぁっ、はぁっ…!」

 

 

 森の中をイリスは必死に逃げていた。

 しかし、胸に受けた傷のせいか、目の前はぼやけ始めていた。

 

「くっ…、不覚…っ!」

 

 それはイリスにとって、簡単な狩りのはずだった。

 森から降りて来た狼の討伐。

 それが今回の目的だった。

 下町に被害を与えているという狼の話を騎士である父から聞いて、正義の騎士を目指すイリスはいても立ってもいられなかった。

 連れを二人引き連れて、勇ましくも森へと狼狩りに出たのである。

 

「ううっ、二人は無事でしょうか…」

 

 しかし、森の奥で待っていたのは、見たことのない大きな化け物だった。

 爬虫類のような目、鱗のついた肌、巨大な羽、恐ろしい鳴き声。

 その鳴き声を聞いた馬は、驚き立ち上がり、イリスは地面に落ちてしまった。

 体勢を崩したイリスに、モンスターは飛びかかってきた。

 もみくちゃになりながら、何とかモンスターをはねのけたものの、モンスターの鉤爪かぎづめで掴まれた胸や腕には、痛々しい引っ掻き傷が残っていた。

 

「はぁ…、はぁ…」

 

 頭がくらくらする。いったいどれだけ森の中を走っただろう。

 

 なぜかそのモンスターは連れの二人に目をくれず、こちらばかりを狙ってきた。

 連れてきた二人は、まだ騎士見習いだった。

 狼ならともかく、自分の体格以上のモンスターと戦う術など持っているはずもない。

 だからイリスは自ら囮となって二人から離れ、森の奥へと逃げてきた。

 

 とはいえ、イリスにもあれ程の大きなモンスターを一人で相手にする自信はなかった。

 万全の状態で、鎧を着込んでいれば少しはマシだったかもしれないが、狼退治に動きづらい鎧を着込む愚者はいない。

 しかも、先刻から体の調子がおかしい。手足の感覚がなくなり始めている。

 状況は絶望的と言う他なかった。

 

 イリスは、その場に倒れこんでしまった。

 もうそれ以上一歩も動けなかった。

 四肢の先が冷たく痺れている感じがした。

 イリスは静かに目を閉じた。

 

 死ぬときって、誰もがこんな感じなんだろうか…?

 自分の驕おごりが招いた結果とはいえ、こんなにあっさりと?

 夢であった騎士にもなれず、こんな森の奥でひっそりと死んで、誰も気付かれず獣の餌になるのだろうか。

 イリスは、震える手で胸のペンダントをそっと握った。

 

 イリスの目に涙が滲にじんだ。

 イリスが泣くのは珍しいことだったが、無理もなかった。

 同年代に比べ、剣の腕は格段に立つとはいえ、イリスはまだ十四才の女の子なのだ。

 次第に襲ってくる弱気を抑えられるほどの精神力も、それを養う経験も、まだ彼女にはなかった。

 

 

 

「お父様…、お母様…」

 

「どしたの?おねーさん」

 

 

 

 ギョッ!

 

 突然誰かに話しかけられたことに驚き、イリスは閉じていた目を見開いた。

 いつの間にか倒れた自分の隣に、黒髪の少年がしゃがみこんでいた。

 

「…ッ!…ッ!」

 

 誰だ、と叫ぼうと思ったが、驚きのあまり固まってしまって声が出ない。

 

 いや、それどころか体全体が動かなかった。

 痺れたようにいうことを聞かない。

 混乱するイリスの隣で、それに気づかず、少年はイリスに話しかけ続けた。

 

「おねーさん、貴族?危ないよーここらへん、最近、狼が出るっていうからさー。

 普段なら、こんな人里近いところまで狼が降りてくるわけないんだけどねー。

 いやいや、オレもね?こんなとこ来たくはなかったんだけど、まぁ、ちょいと事情がさー…、ん?」

 

 ようやく少年は、イリスの異変に気付いた。

 黒髪の少年はイリスの体を軽く眺めると、

 

「あれ?もしかして、毒?モンスターの麻痺毒にやられた?」

 

 少年の言葉に、イリスははっとなった。

 

 麻痺毒?そうか、毒か!!

 モンスターの中には、爪や牙に毒を持っている種類がいると家庭教師に習ったことがある。

 感覚が無くなっていくのは、自分の体が死に向かっていくときの兆候なのだと思い込んでいたが、冷静に考えれば出血はそれほどじゃない。

 だいたい、致命傷ならば、ここまで森の中を走れるわけもない。

 こんな簡単なことにも気づかないなんて…!

 

「まいったなー。えーと、たしかここら辺のモンスターの毒に効くのを持ってきてたはず…」

 

 黒髪の少年は、ガチャガチャと腰のバックを探ると、皮でできた水袋を取り出した。

 

「ほら、こいつを飲んで。解毒のポーションだ」

 

 イリスはポーションを受け取ろうとしたが、少し体が揺れただけで腕は動かなかった。

 

「やれやれ、仕方ないなっと」

 

 それを見ると、黒髪の少年はポーションを自分の口に含み、イリスの首を起こした。

 

 な、何を…、とイリスが思う間もなく、少年は、イリスの唇に口づけをした。

 

「ーーーーーーーーッッ!!!」

 

 少年の口から甘い液体が伝ってくる。

 毒の影響だけではなく、うまく働かなくなった頭で、その液体を吞み下す。

 液体が当たった部分が、ぼんやりと温かくなっていく。

 その熱が頭全体に回った頃、少年は唇を離した。

 

「ぷはっ、これでそのうち体は動くようになると思うよ」

 

 少年の言葉がうまく頭に入らなかった。

 イリスは必死に冷静になろうと努めた。

 

 お、落ち着け、イリス。

 誇りある騎士の家の娘がこれくらいで取り乱すんじゃあない。

 これは医療行為だ。それ以上の意味なんかない。

 彼は見ず知らずの私に、自分の持っているポーションを分け与えてくれたのだ。

 言うなれば命の恩人。

 その彼に、感謝こそすれ、怒るようなことはできない。

 ちょっと許可なく唇を奪ったくらいで。

 で、でも、ちょっと断りを入れるくらいはできたんじゃないかな?

 年頃の娘に礼を欠いているんじゃあないんでしょうか?!!

 わ、私の、ふぁ、ファーストキスを…!!

 

「じゃー、今度は体の傷の方ね」

 

 黒髪の少年は、突然、私の衣服に手をかける。

 

「ふぁっ?!ふぁっ?!」

 

 今度は、さすがに声が出た。解毒のポーションが効いているのだろうか?

 しかし、口から出たそれはうまく言葉にはならなかった。

 

「さっきのは解毒で、こっちは回復のポーション。

 大丈夫だいじょうぶ、お金は取らないよ、お客さん初めてだし、サービスにしとく」

 

 違う!!そういうことは気にしていない!わ、私の胸…ッ!私の肌…ッ!

 

 少年は慣れた手つきでイリスの防具を脱がしていく。

 

 ず、ずいぶん手慣れているんだなぁ…、年下に見えるのに、こういう、け、経験があるんでしょうか??じゃなくて!!

 

「や、やめひぇ…、も…、らいじょぶ…!らいじょぶだから…」

 

 解毒のポーションのおかげか、少しだけ回るようになった舌で、なんとか少年を止めようとする。

 体の方はまだうまく動かせない。

 

「ダメダメー、モンスターの爪なんて雑菌だらけなんだから、油断してたらコロッといっちゃうよ?

 モンスターでの死亡率は、毒なんかより、爪や牙による出血、感染がダントツなんだから。

 ちょっとぐらい恥ずかしいのはガマンガマン」

 

「う…、うぅ…」

 

 なんという正論!!まるで暴力のようだ!!

 そう言われると、何も言えない。

 しかし、しかし…!そんな鼻歌まじりで…っ!

 

 ペロンっ

 

 そうこう考えている内に、上半身の服を全て脱がされてしまった。

 イリスは貴族の娘だ。お抱えの医者以外には、父親にさえ、男にみだりに肌を見せることはしない。

 ましてや同年代の異性に体を見られるなど、初めての経験だった。

 

「さーて、少ししみるかもだけど、我慢してねー、おねーさん」

 

 ぬりぬり

 

「…」

 

 もう私は何も考えない。

 私は貝だ。

 海の底で物言わぬ貝になろう。

 貝には、恥も、外聞も、そして乳首もないのだから…。

 

 イリスは、目を瞑って、全てが早く済む事だけを願っていた。

 

 

「あっ、おねーさん、乳首、超ピンクだね」

 

 

 こ、ころしてやる!!!!!!!!!!

 

 

 少年の余計な一言で、回復のポーションを塗られている間、イリスは命の恩人のハズの少年に、復讐を誓うのだった。

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